2012年12月31日月曜日

酒は微酔にのみ、花は半開に見る


あ~満足した…てとこまでやっちゃうとその上はなくなっちゃうんだね。だけどもっともっとと思っちゃうんだね、人間っていうやつは。そこが悩みの種じゃん。

 昔の人は言っているね、お酒はチョイと酔うくらいで楽しみ、桜の花も5分や7分咲きくらいで愛でるというのがイイとね。

 なかなかいい事言うよね。酒をたら腹飲めば大抵は飲みすぎで体に障るようになるからね、チョイと酔ったなくらいで満足しておけば、ちっとも問題ないね。花にしても満開を見定めようとすると、あっという間に盛は過ぎてしまうからね。満開前に楽しむのがいいね。

2012年12月30日日曜日

慾をすくなくし、心気を和平に

 基本的には、エヘヘ・・・と思うようなことをある程度控えるというのが大切なようだね。食べ過ぎない、色事に走り過ぎないってこと。そして、心をゆったり持って、何かするときには慎みぶかく畏れ深くやることだね。そうすりゃ力を浪費することもないから心気は満ち溢れくるよ。

 こういう生活が身につけば、大金が舞い込んでくるよりもよほど大切なものを手に入れたと思っていいよ。もちろん、お金もある程度は必要だけどね。そのある程度というのも、欲をかきすぎないようにね。

2012年12月28日金曜日

楽を失なはざるは養生の本也


 益軒さんの言う養生は、極端な我慢を強要するようなものとは全く違うよ。過ぎた欲望追求を控えよというだけのこと。まあ、欲をかきすぎている最中は、そのことに気付きにくいものかもしれないが、やはりコントロールしないとね。

そして、人生に楽しみを見出すことが大切だといっているね。楽しみということになると、一歩間違うと欲望の追求に走ってしまいそうだが、そこにもコントロールが必要。あまりに大騒ぎするような楽しみではなく、日常や音曲、自然の中にゆったりした、自分のストレスにならないような楽しみを見出すのが良いとしているんだね。

肩の力を抜き、ゆったりと構えて、現状に感謝し、楽しみを見出す。こういう態度で人生を送れば、気力も充実し天寿を全うしやすくなるよね。

2012年12月27日木曜日

養生の術をよくしれらば、などか養生の道を行なはざるべき

 「そんなことわかっちゃいるよ。」と養生の話しを聞くと言う者が多いけどね、実行できないのは、やはりまだ分かっちゃいないってことなんだなぁ。

 水の中に沈んでしまえば死んじゃうし、火に焼かれれば焼死、砒素を食らえばその毒で死ぬ、なんてこと分かっているから普通多くの人はやらないよね。知っているのに実行したりすれば、ちょっとおかしいのではないかってことになるよね。

 欲をかきすぎると心身に障るということは明らかなのに、それでも欲を追求するなら自刃するのと同じだね。そこがしっかり認識できれば、ある程度は欲望を抑えることができるはずなんだよね。

 少欲知足という養生の基本の術をきちんと知れば、欲望に流されるなんてことなくなるはずだよ。

 俺は太く短く生きるんだ、なんて若いときに言うと威勢がよく聞こえるけど、あとでしまったと思うことが多いと思うよ。

2012年12月26日水曜日

十分によからん事を好むべからず

 少しでも完璧に近づけようと一生懸命努力する、なんて言うのは賞賛されることが多いですね。ほめられれば本人はなおさら頑張ったりしてしまう。それが続けばいいけど、心身に蓄積された無理はどこかで破綻を来たすことが多いように思うね。

 また、あまりに几帳面で完全を理想とする人は、自分の目から見て他人の不完全と思えることが我慢できないことが多いね。そこで、口出しして文句や責める言葉を相手にぶつければ、心がお互いにとって平穏でなくなるね。

 持ち物などにも随分拘る人がいるが、こういうものに拘りすぎるというのは立派な執着心。限られた人生のなかで、そこに心や時間を費やさなくてもよさそうなのにねって周りから見ると思えるんだけどね。

 あまりに多くを望まなくたって、そこそこのところで充分事足りる場合がほとんどでしょう。過度に良いと思うものを求めすぎない、というのも気を養うという意味で大切な養生なんだな。

2012年12月25日火曜日

欲をほしゐまゝにして死ぬる

 生まれながらにして、こりゃ長生きできないという具合の人は少ない。多くはそこそこ長生きできるように生まれついているようだよ。ところが欲望のおもむくままに生きることにより、その生命力を浪費してしまうんだね。これは、気付きにくいかもしれないが、自害するようなものといえるね。

 タバコを吸うのは害ばかりとわかっていながら吸う。

 大量飲酒は肝臓や膵臓を痛めつけ、さらには癌の原因にもなりうるとわかっていながら、浴びるように酒を飲む。

 食事は程ほどにしておかないと、消化管にもよくないし、メタボにも関係してくるとわかっていても、つい過食を繰り返す。

 逆に栄養失調になってしまっては、体の機能が落ちてしまい、ひどいときには死に至る、とわかっていながら無理なダイエットを行う。

 これらは、首をくくったり、飛び降りたり、自分に短剣を突き刺したりするわけではないけれど、やはり自殺だよね。

2012年12月24日月曜日

養生の要は、自欺ことをいましめて、よく忍ぶにあり



 本当はよくないよね、なんて思いつつついやっちゃうことってあるよね。悪いと思いつつやっちゃうというのは、自分を欺いていることになるんだよね。でもやっちゃうってことは、心底悪いと思っていないのかもしれないね。

 例えば、食べ過ぎちゃまずいと思いながら食べちゃうということは、食べ過ぎが心底まずいとは思っていないってことなんだろうね。だから、たらふく食べちゃうのだろうね。

2012年12月23日日曜日

気を養ふに嗇の字を用ゆべし


 吝嗇というのはけちんぼということを意味する場合が多いが、無駄をしないというのは大切かもしれないね。まあ、何が無駄かという判断が人によって違うだろうけどね。でも恐らく、自分の欲望や他者との比較の中で右往左往するようなことは無駄なことが多いのだろうね。

 生きていると、気張ってやらにゃならんこともあるだろうが、無駄に頑張るのは気を失っていくばかり。元気を無くして病に近づき、長生きはむつかしいかもね。

 泰然自若として、元気の浪費を控えていれば、自分にある元気を減らさずに天寿を全うできるように思うね。

2012年12月22日土曜日

わかき時より、老にいたるまで、元気を惜むべし


 若い時は元気いっぱいなので、大はしゃぎしてしまうものだが、まあそこそこにしておかないと気力をすり減らしてしまうんだなぁ。少しは元気を惜しむという姿勢をもっておきたいものだ。

 年をとって、気力体力が落ちてきてから元気を惜しんだところで、あんまり効果はないんだなぁ。まあ、しないよりましかもしれないけどね。

 お金だって、たくさんあるときに少しは倹約しておくほうがいいよね。お金がなくなってから倹約したって、余裕がないものね。

2012年12月21日金曜日

分外をつとむべからず

 自分の実力や限界を知るというのは、難しいよね。だけどある程度把握しておかないとまずいのも事実だよね。

 実力以上のものを敢えてやることも人生においては必要な場面があるだろうけど、そんなことはめったにない。やはり、無理はしないほうが良い。

 無理をすれば、気力をすり減らし病に近づくことになるし、時には周りにまで迷惑をかけることになりかねない。

 無茶するなよ、というのが益軒先生の教えのようですね。

2012年12月20日木曜日

凡(そ)よき事あしき事、皆ならひよりおこる

 いいに事もよろしくないことにも、習慣というものが大いに影響するもの。養生の要であること、つまり日々の務めをきちっとやり、欲をかかないようにするというようなことを日々実行するようにしていると、それが徐々に当たり前となって、ちっとも窮屈じゃなくなる。

 ところが安逸に過ごし、放縦に任せているのが習慣になってしまうと、そりゃ急に何とかしようたって、どうにもなりゃしない。

 ずっとタバコを吸っていて、肺が壊れていつも息苦しくなっってから止めても大勢に影響なし、というかそうなっても禁煙できない人って多いよね。アルコールを大量摂取を続けていて急に止めるなんて、無理無理。

 普段から、体を良く動かし、欲はかかず、としていれば、体は長持ちするわけよ。

其病と其治との当否をよくゑらんで用ゆべし



 どんなことでも、早く結果を出したくなってしまうもんだが、あまり急ぎ過ぎると良くないことが多いね。病気にしたってそうだよ。少しでも早く直そうとあれやこれやとやっているとかえって良くないね。やたらと医者にかかり、とにかく薬を服用し、ときには鍼灸やあんまにかかるし、当時に出かけるし、なんて具合に、自分に何が必要かなんてことも考えずになんでもやっちゃう人って、いるよねぇ~。

 でもね、自分の病気をよくするには、どの医者にかかり、どのような治療方法が適しているのかというところを、しっかり考えないとまずいよ。不適切な治療を取り入れればかえって悪くなるなんてこと、当たり前だよね。

2012年12月18日火曜日

痰をば吐べし



 唾液を吐いてはいけないが、痰は出さないといけないよ。ただしぺっと遠くに飛ばしたりして気を漏らすようなことをせず、紙に取るようにしなきゃならんよ。痰はもう体に不要なものを集めたようなものであり、これを外に出さなければ気がめぐらず、体によろしくないよ。

 酒の飲みすぎはこの痰を増やすようだね。また、酒は水分の補給にはならず、かえって水気を体外に出してしまうので、体は乾燥傾向になってしまうから気をつけてね。

2012年12月17日月曜日

津液(しんえき:つばき)は一身のうるほひ也

 唾液のことまで養生に関係するとは思っていなかった。唾液は体の大切な水分という意味でも、消化酵素を含んでいるという意味でも、また抗菌作用を有するという意味でも大切だ。唾液が溜まったからと、それを吐き出しちゃいけないよ。特に遠くへぺっと吐き出したりすると気も減ってしまうようだ。

 そういえば、消化管から大量に出る消化液も再吸収されて利用されるし、肝臓から出てくる胆汁だって消化管から大部分が再吸収される。また、腎臓で一度ろ過された尿の多くも、必要な部分がほとんど再吸収されている。だったら、唾液だって飲み込んで、消化管から再吸収してもらうのがよさそうだ。

 稀に、唾をぺっぺっぺっと飛ばし回る人を見かけるが、どんどん元気が逃げていくんだろうね。

只天命をやすんじてうれへず


 いつも気持ちが落ち着いた状態でいて、がたがた騒がない。ゆったりと構えて、何かにあるいは誰かに対して迫っていったりしない。和やかにして荒々しい行いはしない。必要以上に喋ったりしないし、声高に発言したりもしない。アホみたいに大笑いをしない。いつも感謝と喜びを感じで生きており、無闇に怒ったりしない。失敗したなぁと思うような過ぎ去ったことに対しては、反省するのは一回にして何度もうじうじ考えない。

 今あることをそのまんまどんと受け入れておれば、自然と心気は充実してくる。これが養生の道。

 養生といえば、体のことばかりに目を奪われがちなんだよね。でも養生訓を読んでいると、心のありようが重要なんだということを、何度も言っているよね。仏教のお話や、老荘思想のお話を聞いているようだね。

2012年12月15日土曜日

へるとふさがるとは、元気の害なり


 友達などと寄り集まってわいわいがやがや、楽しいね。気分も良くなり体にもよかろうと思うね。けどね、それも過ぎると、気を浪費して元気がなくなってくるんだな。騒いだあとの虚脱感ってあるよね。

 だからといって、家にじっとして、人付き合いもしないなんてことをすると、今度は気が巡らず、一人でウジウジ。こうなると鬱々となってきてしまい、やはり元気がなくなるね。

 そのへんの加減が大切だね。

2012年12月14日金曜日

心ゆたけくして物とあらそはず

 上手な料理人が牛を解体するときには、刀の刃こぼれは起きないそうだ。牛の骨と骨の間には、刃に比べれば充分な空間があり、そこを逃さず捌くことができれば刃こぼれなんざぁ起しゃしないらしい。19年間牛を裁き続けて、刃を研ぎに出したことがないという名人料理人の話が荘子のなかで語られている。

 生きていくうえでも、心を広く豊にもって、周囲と無理に争うことなどせず、理にしたがって行動していれば、世の中との軋轢なんざぁおこりゃせず、広い天地を進んでいけるよ。

 そんな風に生きていければ、その人はきっと長生きできるね。

 それにしても、益軒さんの養生訓は、どうも人生訓のようだね。

2012年12月13日木曜日

目に精神ある人は寿(いのちなが)し

 眼を見ると元気かどうかわかることがあるね。眼力があるとかないとかいう言葉も使うね。眼の輝き具合で、体調のよしあしや、心の好不調がわかるなんてことは良く経験すること。

亡くなった方の眼というのは、覗きこむとすでに輝きはなく、動きも当然なく、もう何も見ていないまさに死んだ眼になっている。眼力というのは、生命力のバロメーターなんだね。

眼に精彩があり力のある人というのは元気で長生きできる人が多いね。いつもどろーんとして精神が宿っていないような眼をしている人というのは生命力も乏しくなかなか長生きは望めないね

輝く眼をして、生きていきたいものだね。

2012年12月12日水曜日

胃の気の脉

 漢方のほうでは脈診というのがありまして、脈の具合で体の調子を診るという方法論があります。これはどうもわかりにくいもので、現代日本でこれを診療にきっちり取り入れている医師というのは少なかろうと思います。しかし、漢方的脈診は行わないにしろ、脈の具合というのは必ず触れます。

 ナイチンゲールが、脈の性状を細かく観察していたのは有名なことで、目の前の負傷兵が助かるのかどうかもある程度脈で判断していたようです。脈は個人差があるので、普段から自分の手首の親指側で、動脈の拍動を触れておくと体調の変化がわかるかもしれませんよ。

 益軒が元気のある人の脈として書いているのは、長すぎず短すぎず、遅脈でもなく速脈でもなく、強すぎず弱すぎず、年齢相応の脈、云々としていますが、なかなかよくわからないものですね。丁度良い脈ということなのでしょうが、丁度良いというのがどのあたりの加減なのか難しい。なんとなく雰囲気はわかるんだけどね。

2012年12月11日火曜日

忍は身の宝也


 日本人は既に我慢するなんてことを忘れ去った民族ではなかろうかと思ったりする今日この頃。禍がいろいろ起こるのも仕方がないのかもな。
 昔の言葉に、忍というのは身の宝であるというのがあるそうな。忍ぶことができれば禍いが身に降りかかることはなく、逆に忍ぶ事ができなければ禍が起きてしまうということなのだ。ちょっとの我慢ができないばかりに、大きな問題へと発展することなんざ、よく見かけるね。

 そんな私も、ああ、あの時ちょっと我慢しておけばなぁ、なんてことを山のように繰り返してきたよ。やれやれ。

 養生の道でも、怒りや欲望をこらえるというのが本道よ。我慢の大切さ、今一度見つめ直すのが良いかもね。

閑(しずか)に日を送り

 いまどきこんな時間の過ごし方ができる人は少なかろうね。

 一人家にいて(これはできる)、静かに日々を送る、本を読み、詩歌を嗜み、香をたき、山紫水明を愛で、ちょいと酒を飲み、家庭菜園で取れたものを煮炊きして食べる。

 以上は貧乏人でもできる生活というのが益軒の考えだが、現代ならそこそこの生活ができている人でなければ、望めぬ境遇のような気がするね。

 ここんところはパスとしますか。

2012年12月10日月曜日

山中の人は多くはいのちながし

 益軒は、山中に住む人のほうが長生きしやすいと考えていたようだね。知らないうちに森林浴をしているというのもあるかもしれないね。低地より気温が低いから元気を内に閉じ込めてくれるということも理由と考えたみたい。

 また、人里離れているからやたらと人と交わる必要がなく、静かにすることができ、あまり便利ではないから自然欲も少なくなり、魚や肉を食べるチャンスも少ないことになる。そんなこと全部ひっくるめて、山中にに住む人が長生きしやすいと考えたみたいだね。

 でも現代の日本、どこに住んでいても情報が飛び交っているし、流通も発達しているからねぇ。山のほうに住んでいるから長生きっていうわけにはいかないかも知れないねぇ。

 結局はどこに住んでいても、心静かにし、元気を消耗するような付き合いはよしておき、欲をかきすぎず、肉食を控えるのがよいという益軒が考える養生の基本をつらぬく、ということですね。まあ、できる範囲で。

2012年12月9日日曜日

しづかにす


 心を鎮め、穏やかな心持ちを保ち、あまりおしゃべりはせず、静かにしているのを基本とするのが良いそうだ。現代というのは、お笑いを中心にやたらとしゃべり続ける人が多い。お笑いの人はそれを仕事としてやっているのだからいいけれど、一般人が日常生活でもそれを良しとするのでは、心も生活も荒れてくるのかもしれないね。

 穏やかで静かなことを基本とするというのは、徳を養うことになるし、身を養うことにもなるんだな。逆におしゃべりが過ぎると心が騒がしくなり、気も荒くなり、心身ともに傷ついていくことになる。それに気づかず生活していると、なかなか長生きはできないよ。

2012年12月8日土曜日

楽より寿にいたれる


欲望を満たすことが生活の中心になっていると、満足は得られず、苦しいと感じる日々になるね。視点を変えるというのはむつかしいけど、今を楽しむという心のありようをつかめれば、毎日が楽しくなるだろうね。

そうすれば、今日という日も楽しい一日だし、今年一年を過ごすあいだも四季折々様々に楽しめるよ。そのようにして年月を重ねれば、自然と気力も充実し元気になってくる。

今を楽しめる、というのが長生きの道へつながるんだね。

2012年12月5日水曜日

寝食の二の節に当れる


 飲んだり食ったりで栄養をこの身に取り入れ、生を養っている、これトーゼン。横になり眠り体を休めて、元気を養っている、これまた当然。ところが、この二つも過ぎると逆に体に悪いんだな。

 元気いっぱい、生き生き毎日、という人は、朝早く起きる、昼間に寝たりしない、夜になってからでないと寝ない、いつも何らか体を動かしだらだらしない、飲食は少なめ、満腹にしたりしない。こんな具合だと、元気いっぱい、循環良好、血気盛ん、病知らず。

 できることなら、死ぬまでこうありたいね。そして、元気がなくなれば、苦しむ時間は少なく、スッとあの世に旅立つ、なんてのがいいね。

2012年12月4日火曜日

万事控えめに

 養生の道と言ってもいろいろ言葉を並べる必要なし。万事控えめにすることだ。

 飲食を控えめにする、房事を控えめにする、気を遣いすぎない、感情をなるべく穏やかに鎮める、必要以上にしゃべらない、体を冷やしすぎたり暖めすぎたりしない、日常生活で体を動かし歩行し横になって休みすぎない、などなど。

 ただね、普段からちょいと抑えるってえことを学んでない輩には、控えめにするということが難しいんだよねぇ。そんなことできるかって言う人は、欲望に身を任すのも一つの人生なので自由にしてもらって良いと思うんだが、体を壊したときには、せめて後悔せずに心を穏やかに過ごしてね。無茶したんだから仕方がないってね。

2012年12月3日月曜日

心に快からん事をこのむべからず


 えっちゃん(益軒)はいい事言うけど、なかなか実行のむつかしいことが多いね。わかっちゃいるけどやめられないっていうところあるよね。まあ、養生訓はえっちゃんが85歳でなくなる前年に書き上げたということだから、人生の酸いも甘いもわかっちゃった上でのことばなんだね。だけど、無理だとはねつけずに、その言葉に少しは耳を傾けたいもんだね。

 飲食欲や色欲に身を任せちゃうというのは、最初はワクワクするね。気持ちも喜んじゃうね。だけど、こういう喜びというのはあとになって禍となったりするんだね。最初のワクワクをチョイとこらえると、あとに楽があるわけね。

 しかし、ワクワク無くしてなんの人生かってとこも有るからね。個々人でいい落としどころを考えちゃってくださいね。

2012年12月2日日曜日

言心は一日々々をあらためて


 毎日いろいろなことがあるね。頭にきたり、羨ましかったり、欲しくなったりといろいろ。思わず言わなきゃよかった一言を言ってしまったりということもあるね。口に出してしまうと、取り返しはつかない。

 むつかしいけれど、心が硬く攻撃的になっていると気がつけば、ご用心だよ。慎み、という言葉を思いだし、チョイと一呼吸置こう。外に向かって無闇に攻撃的になれば、それは自分に帰ってくるっていうのが世の中。

 心は常に変化する。毎日、自分の心の状態をチェックする時間を持ちたいね。心を整えておけば、健康を損なうようなことをしでかすことも、禍を引き寄せることも少なくなるよ。穏やかに、幸せに、天寿全うといきたいね。

2012年12月1日土曜日

気をそこなふ事は常に多し


 時間と競争したり、日常の些事までも関わり過ぎたりと、現代人は気力を吸い取られるような状況に身を置いている人が多いですね。そのような環境に身を置き続ければ、元気を失ってくるのも当たり前だ。

 金属、コンクリート、IT機器、たくさんの人に囲まれた日々から抜け出し、土、植物、動物、新鮮な空気などに触れたり、ゆっくりぼーっとする時間をもったりして、気力アップもしたいもの。

 自分では元気いっぱいのつもりでも、気というものには限りがあるよ。一方、欲望というのは限りがないものだ。限りない欲望を追い続けていれば、元気を消耗し、病を得て、死を引き寄せちゃう。

 絶対にしなくちゃならない、と思っていることも、よくよく考えるとしなくてもそう問題ないやということは多いもの。まあ無理せず、ぼちぼちやってくださいな。